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Julian Opie Installation @ Barbican Centre

バービカン・センターの屋外テラス・Lakesideに置かれている、イギリス人ビジュアル・アーティストJulian Opie(ジュリアン・オピー)のLEDインスタレーション作品。イギリスを代表する現代美術家のジュリアン・オピーは、フラットでポップな色使いに、太線と点で描かれた、ディテールを省いたシンプルな人物ポートレートが作風の、Michael Craig-Martin(マイケル・クレイグ・マーティン)と並んで、私のお気に入りのアーティストの1人。 この作品は、今年夏にバービカン・センターで開催されていた、「Watch Me Move: The Animation Show」の一環らしい。オレンジ色のLEDディスプレイ2台に、女性(左/写真)と男性(右/写真)が歩く姿が写し出されている。催眠術のように、ずーっと見ていても飽きない。 This is a LED installation by British visual artist Julian Opie, placed on the Lakeside outdoor terrace at the Barbican Centre. His signature portraits are characterised by minimal details composed of black outlines and circle and … Continue reading

“Joan of Arc: Voices of Light” by London Symphony Orchestra @ Barbican Centre

先日日曜日、バービカン・センターで行われた、London Symphony Orchestra(LSO:ロンドン交響楽団)のコンサート「Joan of Arc: Voices of Light」を観に行った。このコンサートでは、カール・ドライヤー監督のサイレント映画「裁かるゝジャンヌ(1928年)」の映像を背景に、アメリカ人作曲家のRichard Einhorn(リチャード・エインホーン)がこの映画に影響を受けて1994年に作曲したオラトリオ・「Voices of Light」を、女性指揮者Marin Alsop(マリン・オールソップ)率いるLSOが演奏した。 「裁かるゝジャンヌ」では、大天使ミカエルの「声」を聞き、百年戦争の際、イングランドによる支配からフランスを救った英雄ジャンヌ・ダルクが、敵対するブルゴーニュ軍に捕らえられてイングランド軍に引き渡された末、異端審問裁判で「悪魔の子」の烙印を押され、火刑に処せられるまでが描かれている。ラテン語と古フランス語で書かれた、聖書やジャンヌ・ダルクを含む中世の女性による著作からの引用で構成された詞は、ソロイストとコーラスによって美しく歌い上げられ、そのミニマルで荘厳な音楽からは、白黒の映像と相まって、若干19歳で悲劇の最後を迎えたジャンヌの恐怖と苦しみが切なく伝わってくる。YouYubeでもこの映画と音楽のコラボが見れるので(リンク)、ご興味ある方は是非! We went to London Symphony Orchestra (LSO)’s “Joan of Arc: Voices of Light” at the Barbican Centre last Sunday. In this concert, live performance by a leading female conductor Marin Alsop and LSO … Continue reading

Cory Arcangel: Beat the Champ @ Curve Barbican Art Gallery

「Archipelago」(昨日のブログ参照)を見た帰りに、同じくバービカン・センターにあるCurve (カーヴ)Art Galleryで開催中の「Cory Arcangel: Beat the Champ」展(2月10日〜5月22日)を見た。コリー・アーケンジェルは、ニューヨーク・ブルックリンを拠点とするデジタル・アーティスト。「Beat the Champ」展では、1970年代から2000年代のボーリングのコンピュータ・ゲーム14本を、それぞれのコントローラにコンピュータ・チップをつけて、自動的にプレーさせている。「チャンピオンを負かせ」とタイトルは勇ましいけれど、チップでプレーさせているため、プレーヤーはヘタクソ、ガーターのオンパレード。古いソフトほど荒っぽくて画質が悪く、ガーターを出したプレーヤーが悔しがる姿が、妙にカクカクしていて可笑しい。原色で安っぽい画面といい、うるさいサウンドといい、大昔友人たちとゲーセンに行った時の事を思い出し、ふと懐かしい気分になった。 After we saw the movie “Archipelago” (see yesterday’s entry), we stopped by the Curve Barbican Art Gallery to see “Cory Arcangel: Beat the Champ” (Feb 10 – May 22). Cory Arcangel is a … Continue reading

Archipelago @ Barbican Cinema 1

イギリスに長く住んでいるのに、映画好きなのに、よく考えてみたらイギリス映画はあんまり見ていない。私にとって、イギリス映画と言えば、シェイクスピアや王室関係などの歴史もの、ジェームズ・ボンドシリーズ、ハリー・ポッター、そしてフル・モンティやトレインスポッティングなどの労働者階級もの、そしてブリジット・ジョーンズの日記やノッティングヒルの恋人といったラブコメで、これらのジャンルにはあんまり興味がない。一般的に、イギリス映画は印象が薄いというか、インパクトに欠け、何故かそそられない。それにフランス映画のように、人間関係の描写が上手くもない。その中で最近、イギリス人映画評論家たちが口を揃えて絶賛したアートハウス系イギリス映画「Archipelago(群島)」を、期待満々で見に行った。あらすじとしては、 息子のエドワードがアフリカにボランティアに行く前に、想い出に家族旅行をしようと、母パトリシアはシリー諸島に別荘を借りた。母と姉のシンシアが先に到着。エドワードも少し遅れてやってきた。シンシアは何故かいつも不機嫌で情緒不安定。エドワードは、自分のしようとしている事に意味があるのか悩む。父親は、待てど暮らせど言い訳ばかりで来ず、状態をもてあます母親はついにプッチン。料理係として雇われたローズと、母とシンシアに絵画を教えるクリストファーが緩衝役になるも、時間が経つにつれ、家族内の緊張は高まっていく。 と言う話だが、何か起こりそうで何も起こらない。ストーリーラインも特にない。シンシアのいらいらは意味不明だし、エドワードは理想主義でナイーブな、典型的なお坊っちゃま。母は言いたいこともはっきり言えず、鬱屈するのみ。そして彼らの会話の空虚でつまらない事といったら!イギリスのミドルクラス(日本で言う中流よりもステイタスが上の感じ)のお方々は、こんなに気取った退屈な会話をするのか。上映約2時間の間ムカムカし、気持ちの良い眠りにさえつけなかった。私だけがこの「高尚な」会話を理解できないのかと思っていたら、何人かが途中で席を立ったまま帰ってこなかった。 「A car-crash compelling, painfully comic distillation of modern British middle class mores(交通事故のように注目せずにいられない、現代のイギリスのミドルクラスを痛々しいほど滑稽に凝縮)」「subtle film of sensed absences(感じさせる不在を扱う巧みな映画)」「sad, funny, wise film(悲しくて可笑しい、賢明な映画)」等々、いつもは辛口の評論家たちが大げさな好評価を与える理由が全く分からない。思うに、自身もミドルクラスである評論家たちだから理解できる、ミドルクラスによるミドルクラスのための映画で、内輪でしか共感できないんだろう。 ただ、映像はとても綺麗で、島の風景も素晴らしい。家族の会話は全部カットして、島の観光用CMとして利用するのにはいいかもしれない。 We are movie fans and have been living in UK for a while, but rarely see British … Continue reading

I AM LOVE (IO SONO L’AMORE) @ Barbican Cinema

『フィクサー』でアカデミー助演女優賞をしたイギリス人女優、ティルダ・スウィントンが主演のイタリア映画「I AM LOVE (IO SONO L’AMORE)」を観た。 I AM LOVEは、ミラノの裕福なRecchi(レッキ)家が舞台。一家の財産を築き上げた家長のEdoardo Recchi Sr.(エドアルド・レッキ・シニア)は、引退を決意、その会社の実権を息子のTancredi(タンクレディ)と孫のEdoardo Jr(エドアルド・ジュニア)に譲った。エドアルド・ジュニアは、会社の仕事以外にも、友人のAntonio(アントニオ)とともに、郊外にレストランをオープンする計画をたてている。ティルダ・スウィントン演じるEmma(エンマ)は、タンクレディのロシア人妻で、4人の成長した子供の母親。タンクレディと結婚し、ミラノに移り住んできてから、ロシア人としてのアイデンティティを捨て、夫に与えられた新しい名前、「エンマ」と生きていくことを決意し、ミラノの上流階級の生活に馴染もうと努力してきた。その完璧なイメージと裏腹に、レッキ家の人々の人生は急速に変わっていった。娘のElisabetta(エリザベッタ)はレズビアンで、留学先のロンドンでカミングアウトして新しい人生を送ろうとしていた。ロシア人としての母を敬愛するエドアルド・ジュニアは、ビジネスの厳しい現実を知り幻滅、また会社の「明るい未来」のために、祖父の興した会社を手放すことを受け入れざるを得ず、失意の中にいた。レッキ家の名に恥じないよう頑張ってきたエンマは、ありのままの自分を受け入れてくれる息子の友人・アントニオと恋に落ちたことによって、抑圧していた 情熱が解き放された。許されない恋に落ちたエンマの「パンドラの箱」が開けられ、悲劇がレッキ家を襲い、家族は崩壊を迎える。 昼ドラのようなストーリー自体は、ありきたりだけれど、スタイリッシュな撮影技法(シネマトグラフィー)で、ミラノの街やイタリアの自然を、美しく幻想的に映し出している。ミニマル・ミュージックの作曲家、ジョン・アダムスの印象的な音楽と、イタリア・未来派のタイポグラフィーの使用も、クラシックな映画の雰囲気にとても良く合っている。ジル・サンダーのデザインするシンプルでエレガントな衣装も素敵だ。エキセントリックで有名なティルダ・スウィントンはやっぱりちょっとヘンだったけれど、存在感はかなりあった。ヴィスコンティやアントニオーニ、パゾリーニなど、70年代の黄金時代のイタリア映画を思わせる、上流社会の華麗だけれど息の詰まるような生活をセンス良く描き出した、かっこいい映画。かなりお薦めです。 We saw an Italian movie “I AM LOVE (IO SONO L’AMORE)”, starring British actress Tilda Swinton, who won the Academy Award for Best Supporting Actress for her … Continue reading